ちょんまげベーシスト・作曲家・編曲家 SADA
『天守物語』で演出をつとめる演出家・桂佑輔が、ゆかりのあるクリエイターの方々とお届けするスペシャル対談。第2弾は世界的ミュージシャンであり、歌舞伎、小劇場演劇、大衆演劇などでも幅広くご活躍されているSADAさんをお迎えしてお届けします。
●SADA(サダ)プロフィール
(X→@SADABass)
世界唯⼀の"⽣"ちょんまげベーシスト。
舞台・テレビドラマ・映画等の⾳楽制作や他アーティストへの楽曲提 供などを⾏う他、 プレイヤーとして⽇本のみならずフランス・イギリス・中国・台湾・ ニュージーランド等でも公演を⾏う。 昨今は、古典⽇本舞踊と洋⾵⾳楽との融合、 江⼾時代の端唄をエレクトロやロックアレンジした楽曲をリリースす るなど ⽇本の伝統⽂化とのセッションを主軸とした活動を⾏っている。
--- 主な経歴 ---
・「新・⽔滸伝」/ 歌舞伎座・京都南座 [⾳楽]
・舞台 最⾼のオバハン(主演・⼤地真央)/ シアター1010 他 [⾳楽]
・「新・三国志 関⽻編」/ 博多座 [⾳楽]
・ドラマ 古書堂ものがたり(主演・乃⽊坂46)[⾳楽]
・KING & PRINCE アルバム「RE:SENSE」収録楽曲「ツッパリ魂」[アレンジ]
「よくわからないけどスゲェ!」
PRAY▶︎前作『歌行燈』で受けた衝撃
桂 世界的ミュージシャンであり、ご自身のバンド意外にも歌舞伎、小劇場演劇、大衆演劇などで幅広くご活躍されているSADAさんにお越しいただきました!PRAY▶︎とは、前作『歌行燈』をご覧いただいて以来仲良くしていただいていて。今回こういう形でお話しを伺えて光栄です。
PRAY▶︎は、完全な古典にはしないけれども、古典の大事な要素はなにも外さないみたいなのを心掛けているんですが。前作の『歌行燈』ご覧になってどう感じられましたか?
SADA 一言でいえば、最高です。
桂 あっ……ありがとうございます(照)
SADA 舞台美術もダンスとのマッチングも塩梅がよくて。あれを見終わった時に「なんかわかんないけどスゲェ!」っていう言葉が出たんですよ、僕は。
破天航路(SADA氏がメンバーとして所属し、殺陣、日本舞踊、ダンスなどの身体表現とロックバンドが融合したパフォーマンス集団)も、「殺陣と日本舞踊とダンスとバイオリンが入ったメタルバンドです」「ノンバーバルでやってます」っていう前置きはあるけれども、最終的には公演を観たお客様が「なんかわかんないけどスゲェ」って言って帰ってもらえるのが一番いいなと思っていて。
桂 やー、めちゃめちゃ同意します。まさにその通りだと思います。
SADA 『歌行燈』は、シナリオもちゃんとわかるんだけれども「なんかすごいし、観てよかった」という印象がいまだにあります。
桂 とてもうれしいです。お客様にもって帰って欲しいお土産は「なんかすごい」でいいと思っているので。僕が何を表現したいかという事ではなく「なんかすごい」とか言葉にならないものを持って帰ってほしいなと思って創っていまして。SADAさんにそれを持って帰っていただけというのはすごく嬉しいです。
PRAY▶︎らしさはどういうところに感じられたでしょう?
SADA 「斬新な古典」だと思いました。じゃあ何が斬新かというと、その組み合わせ…日本のもの、昔のものからの組み合わせで新しい物は生まれるじゃないですか。でも、その組み合わせはセンスがすごく問われると思う。
もちろん僕がそう思ったのであって、古典の人たちが聞いてどう思うか、古典をやっていない人たちがどう思うかはそれぞれになるでしょうけどね。
桂 確かに。実は「斬新」かどうかは全く意識してないのですが、でも「斬新な古典」と言っていただけたのは「斬新だけども『ちゃんと古典』」という風にSADAさんに感じていただけたのだと受け取りました。
それに「なんかよくわかんないけど面白かった」というのはいただける言葉としては非常に光栄ですね。
日本の文化にのめりこみ
クロスカルチャーの中で取り組んできた音楽
桂 SADAさんの音楽活動の最初の一歩はどのような感じだったんですか?
SADA 大学受験が嫌で音楽を始めました。
桂 そういうことなんですか?(笑)
SADA はい。鍵盤はいっぱいあるしギターは6本もあるから、とりあえずベースを始めました(笑)それまでも趣味で音楽を作っていたりはしたんですよ。メタルやファンクが大好きで、洋楽ばかり聞いていたので、海外的な音楽要素が強くて。
桂 そこから日本文化との出会いはどこで……
SADA 破天航路のメンバーでもある花ノ本以津輝の日本舞踊をたまたま観る機会があって、その時に初めて日本文化と出会ったという感じです。日本にいても歌舞伎や大衆演劇のような日本文化に触れる機会って、実はそんなに多くないですよね。
桂 本当にそうですよね。普通に生活していると、例えば和服なんかもお祭りの時くらいしか着ないですしね。
SADA ね。僕も普段から和の文化の中で生きているにも関わらず、意識したり触れてきたりしてこなかった。そんな中で、花ノ本以津輝の日本舞踊に出会って「これはメタルだ」と感じたんですよ。それが、和の文化にどっぷりのめり込むきっかけになりました。
桂 へぇ、それはどういう感覚だったんですか?
SADA 例えば、表現の中に力強さを感じたり、自分の心と凄くリンクしたというか。
桂 なるほど。
SADA メタルアルバムの中にはミュージカル要素があるものもあって。演劇などの舞台を見たことはほとんどなかったけど、そういった音楽は好きだったんですよね。そういう意味では舞台音楽に通ずるものは要素として元々持っていたのかもな。
桂 なるほど、面白いですね。そこから入るんだ。
SADA 『破天航路』もそうだし、その前に花ノ本以津輝がやっていたグループ『傾輝者』もジャズダンス、日本舞踊、新体操舞踊、それからヘアメイクや衣装といった異なるジャンルのメンバーが所属しているような集団で。そういったクロスカルチャーの中で音楽を始めた感じですね。
桂 僕も映像でしか拝見したことがないのですが、『破天航路』は日本文化をコアにしながら、よりクロ―バルな表現を求めてらっしゃるなと感じていたんですよ。なるほど、そういったところからのスタートなんですね。
ミュージシャンとして音楽を作る時と、舞台音楽を作るときで勝手が違うことはありますか?
SADA 初めて作ったとき、人の声ありきで作る舞台音楽と、音楽だけで成立させようとする音楽は全く勝手が違うと衝撃を受けたのを覚えています。
音楽を音楽の為に作るプロセスと、舞台や映像でまずフォーカスされた方がいい視覚的要素、声などへの配慮を楽しむものは違いますね。さらに、芝居の後ろに流れて後押しをするための音楽なのか、逆に人の心に寄り添い過ぎない演出なのかでも異なりますし。舞台音楽を何本か作っていく中で、探っていったという感じです。
日本の文化を知らない若い世代と
海外のファンは似ている
桂 SADAさんはミュージシャンとしては勿論ですが、『破天航路』という団体としても強さを感じます。日本の決して上向きではない今の状況の中で、日本を軸にしながら、よりグローバルで、より強いものを作って国内外を切り開いていかれる。その力強さをSADAさんの背中からビシビシと感じます。
SADA それについては、僕が思って実行してきたことがあるんですけど。日本の文化に触れてこなかった若い人たちと海外のファンって分母が似てるなと思ったんですよね。
桂 なるほど、面白いですね。
SADA 『傾輝者』というグループに加入して、世界三大演劇祭といわれるスコットランドのエジンバラフリンジに出演したんです。その時に、異言語・異文化・無知識の方にも楽しんでもらえるものを創りたいなと思っていたんですよ。
日本人が和服を着て何かをやっているということだけでは、海外の人は見た事あるだろうし、知っているだろうし。または、古典だと文化もわからなくて、言語も難しかったりする。これはお芝居とは全く別路線の方法なんですけど、知識がなく日本を知らなかったとしても、とにかく楽しんでもらえるとしたら、分母はすごく広がるだろうなと。で、その分母の中には日本の新しい世代も必ずマッチするんじゃないかと思ったし、今も思っているんです。
桂 うーん、すごく同意しますね。
SADA それでいったら、PRAY▶︎の前作『歌行燈』とかは、まさにそれですよね。あれはもう世界中にいけるやつじゃんって思ってしまう。
日本文化に対する危機感
新派劇の未来に対する危機感
桂 SADAさんがおっしゃった普通に生きていても日本文化にあまり触れる事がないという話。僕はその部分に危機感を持っているんです。余裕がないんじゃないかと、日本文化に。ちょっと浴衣見たことあるくらいのレベルだと海外の人も見たことあるわけで、海外の人と例えば東京に住んでいる人ってそれほど大きな差がないですよね。
SADA そうそう。
桂 で、分母が広がらなかったら日本文化は無くなってちゃうんじゃないかっていう。その危機感をすごく持っていて、その危機感が「当たり前」なんですよね。当たり前ににやばいんです。それもあってPRAY▶︎がどう見えたのかをすごくお聞きしたかったんですよ。うちの場合は新派劇を元にしていますが、率直に申し上げると、いわゆる「和もの」とか、日本語をベースにした作劇法に由来する古典界隈のおかれている状況はかなり厳しいと認識しています。
SADA その理由は、やる人が少なくなってきているということ?
桂 そうですね。それもあります。ある界隈では僕で最若手くらいなわけですよ。
SADA あーなるほど。
桂 僕40歳なんですけど。40歳が最若手レベル。そして実際の物事をよく知っていて実演が可能な世代が概ね70歳オーバーになっているんです。それでも、その世代の先輩達にいわせれば、自分たちも上の世代より全然ものを知らないとおっしゃいます。
SADA なるほどなるほど。
桂 古典上演の機会が徐々に減少するに伴って、少しづつ技芸の継承が進まなくなる。その「少しずつ」が数世代繰り返されると非常に厳しくなりますよね。プレイヤーも作れる人もへってくると、自ずとその界隈自体が活性化しませんし。また日本の社会経済面からも、僕らはもういよいよ尻に火がついてますよね。それを実際日々あるいは生まれたときから体感しているから、その危機感とかやばさの実感は、上の世代がもってる実感と臨場感や深刻度が圧倒的にちがうなと思います。
SADA それは非常に重要な部分ですね。
劇場で配られるチラシの重要性
『歌行燈』は勝ってると思った
桂 そんな状況の中で今一度問われているのは、劇場というものの存在感というか。実際みんなのお給料は下がっていて、家でNetflixとか観られて、VRで宇宙にも行けて、サブスクで色んなもの聴けて、お金も大して使わないで済む世の中じゃないですか。これはライブなどもそうだと思うんですけど、わざわざ劇場に行かなきゃいけないということと、行って何を持って帰って来られるのかということ。これは本当に永遠のテーマだと思っているんです。SADAさんはその観点でどう思いますか?
SADA おっしゃりたいことは非常によくわかります。今YouTubeやTikTokとか、エンターテインメントで敵対するのがまず無料ですからね。一秒でスワイプされるものと太刀打ちしなきゃいけないっていう、すごくヘビーな闘いを強いられている。
その中で、劇場でしか味わえないものは何か。さっき桂さんがおっしゃっていた「何を持って帰るのか」という事が一番重要だろうとは思っていて。まぁ、やっぱり体験なんでしょうね。あと中毒性。リピートしてもらわないと結局良い思い出だけになってしまうので。
桂 なるほど。体験だけではなく、中毒性が必要だと。
SADA 僕がよく破天航路でやっているのはライブに来てもらったら、次回公演のチラシを入れたり。一回で終わりでなく線で繋げていかなくちゃいけない。特に主宰しているときは必ず。次の舞台はどこでやりますという告知しかり、舞台も良かったけどあの役者さんが良かったというキャラクター性のすり込みしかり。足を運んだ先にある付加価値はなんぼでも付けた方がいいだろうなとは思う。
僕、舞台のチラシだけで動員変わるよなと思っていて。個人的な趣味で、舞台のチラシのいいものはとっておくんですよ。『歌行燈』はチラシでめちゃめちゃ勝ってると思った。
桂 マジですか!え、どこに興味をもっていただけたんでしょうか?
SADA 『Singing is a light』これだけ見たらライブなのかなんなのかわからない。でも、「なんなの、これ」というインパクトがありましたね。鼓を持ってる方の笑顔と、和服じゃないところ、笑顔なんだけどめちゃめちゃな明るさと暗さのコントラスト。この表情と、バキっとした感じ。上下のカジュアルな感じ。ラジカセを和服で持ってるのもめっちゃよかった!
桂 嬉しい……。
SADA 既に足を運んでくれているお客様ってすごく大切だと思うんですね。また来てもらえるかもしれない可能性のある方々がチラシ置き場で手に取るかどうかってめちゃくちゃ大事。
桂 SNSで一万人に拡散したとして、実際に何人来ていただけるかと考えると本当にそうですね。
「超攻撃型"新派劇"」
守るためには攻めないといけない
SADA 今作の「超攻撃型新派劇」というのもキャッチ―でいいと思います。ただ『新派劇』が知られているのかなというと…
桂 非常に残念な現実ですが、限られていると思います。でも、「なんか違う種類の演劇っぽいぞ」をどんどん言っていって、伝えられればと。
SADA 新派という言葉を受け継ぐ劇団は劇団新派さんだけですよね現状。
桂 そうです。私も所属している劇団新派のみです。すそ野が広いことが界隈の活性化につながると勝手に思っていましてそのすそ野をどう作るかが重要だと思うんですよ。単純にプレイヤーが多いとか認知が広いとか。
SADA 僕は、人生の彩りとは何かというと、体験・経験する事・心を動かされる事だと思っています。今、若い人ほど人口も少ないしお金も持っていないと言われているけど、だからといって若い人に向けた新しいものが生まれない、生み出せないとなったら、頭のいい人から国外に脱出するだろうなと思ってる。そうするとどんどん国力は下がるわけで。
桂 実際行けちゃいますからね。私以下の世代だと、普通に日本から出ることが当たり前に選択肢に入ってきてる印象です。
SADA どこ住んでてもいいんですけど。やっぱり日本が好きなら「攻め」ないと「日本」を守り切れないと思っていて。それこそ「超攻撃型」は、よくわかる。外にでないと守れないよね。
桂 守りたいから攻める。必死で種をまくって意味で。
SADA 若い世代にうけるようにするには「私もやりたいです」って人を増やさないといけないのと、その人たちの夢の責任を持たないといけないと思っているんです。僕も45なんで、次の世代に何かを残すためには、背中を見せて導かないとね。理想論だけではなかなかうまくいかない。
桂 僕も後の世代に何かを繋ぐということに最近とても興味があって。うちの芝居を観て、それをやりたいと思う人が少しでも増えてくれそうな感じはします?
SADA あれは面白いだろうし、出たい人はいっぱいいるんじゃないかな。そういう感触はない?
桂 どうなんでしょう?僕、まだまだ未熟者ですし、自己評価もすごく低いので(笑)でも、それはそれとして、お客様に「なんかすごかった」とか「言葉にならないもの」を持って帰ってほしいと心から思っていますし、同時に「やってみたい」「参加したい」と思ってくれる俳優やスタッフがいて欲しいと思っているので。そう言っていただけることはすごく嬉しいですね。
作品への不安はないからこそ
『天守物語』に期待するのは驚き
桂 もしSADAさん次のうちの『天守物語』を観に来てくださるとして。
SADA 行きたい。
桂 ぜひぜひお願いします。あの…何を期待して来ていただけますか?
SADA 『歌行燈』を超える驚き、かな?驚きが期待できる。それを言うってことは内容に安心しきっているとも言える。『歌行燈』を見て、内容への不安は一切なくなったかな。めちゃくちゃ上からですけど。
桂 それにお応えできるようなものをぜひお届けしたいです。僕らとしては初めての中劇場というのもありますし、必ずご期待に沿えるよう頑張って創ります。
SADA そこはもう大丈夫だろうなぁ。そうか、中劇場になるのか。
桂 そうです、前はキャパ100人程度の所でしたので。
SADA これは挑戦ですね。
桂 新派劇というのも、おこがましくて今まで名乗ってこなかったんです。今回いよいよ覚悟きめて、勿論関係各所の許可もいただいて、新派劇と名前をつけてしまいました。先人達が守り続けてきた名前を汚すようなことがあったらもう何と申そうようもありませんし、何より、ご期待いただいたお客様に必ずこたえないとと思っています。お時間いただきまして、本日はありがとうございました!
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